
北山 映
おじいちゃんと一緒に暮らし始めたのは、17歳の頃。私はその頃、喫茶店でアルバイトをしていた。
おじいちゃんは私がコーヒーを入れてあげるとすごく喜んだ。私たちはよく、古いちゃぶ台が置かれた台所で向かい合ってコーヒーを一緒に飲んだ。
「あきちゃんの入れるコーヒーはやっぱり美味しい。喫茶店で働いているからだね。」
いつも必ずおじいちゃんは私の入れるコーヒーを誉めてくれた。
「これインスタントコーヒーだよ」
などと笑って言う私に、おじいちゃんが優しく言った「気持ちが入っているからだね」と。
おじいちゃんは熱いコーヒーにミルクをたっぷりと、スプーン1杯の砂糖を入れたのが好きだった。
「おばあちゃんはコーヒーに砂糖を入れてくれないんだ」
と、時々困ったように笑って言っていた。
「おじいちゃん糖尿だからね」
私はクスッと笑いながらいつも答えた。そして「食べる?」と、クッキーなどを差し出すと、
「おばあちゃんに怒られちゃうよ」
と、言いながらもおじいちゃんは必ず受け取った。そんな小さなことで私たちはコミュニケーションを取っていた。
私が19歳になった秋のあたま、夕食後におじいちゃんにコーヒーを入れた。私はその頃、喫茶店のアルバイトを辞め、昼はスーパーで働き、夜は近所のスナックで手伝いをしていた。
「あきちゃんはコーヒー飲まないの?まだ仕事に行かないでしょ?」
おじいちゃんはたずねた。
「時間はあるんだけど、歯が痛くて…」私は答え、「歯医者には行っているんだけど。」とつけくわえると、おじいちゃんはクスクス笑って言った。
「あきちゃんの父親は歯は丈夫だったのにね」
「私、歯だけはお母さんの遺伝だよ、顔はお父さんの遺伝だけど」
「そっか、それは困ったもんだね」
おじいちゃんが妙にまじめに答えたので、冗談のつもりで言った私は恥ずかしくなって「さ、行こう」と台所を出た。その時、私はふいに振り返るとおじいちゃんはコーヒーカップを静かに置き、
「いってらっしゃい」
と、言って手を振った。コーヒーカップからの湯気と連動した手のゆっくりとした動き。なんときれいな眺めだろう、そう思った。
その夜のやりとりが私とおじいちゃんの最期になってしまった。私はあの光景をきっと忘れないと思う。
もうあの家には、あのちゃぶ台も2人のコーヒーカップも無くなってしまったけれど……。私のこころの中に、時が過ぎ去ってもあの光景だけは鮮明に残っている、ずっと。