講師寄稿

「通せんぼ」

大重 兼一

  母は老健施設の真っ白いシーツの上に臥せている。
  じっと天井の一点を見つめていた。目の上で手を振ると、にっこりした。
「どれ、どれ、起こしてくれないか。背中に手を回してくれないか」
  ベッドに座ると、もう起きるのもやっとだよ、それにしてもよく来られたね、暇がとれたのかい、ありがたい、ありがたい、と言った。
  
  母は、ぽつり、ぽつり  と、語り始めた。
  
  私  100になっただろう?  なに?  98?
  車椅子はいやだねぇ  自分の足で歩きたいよ
  だからね  リハビリに励むのだよ
  先生も  あなたはよく頑張っている  と誉めてくださる
  でもね、誰かが私を邪魔している
  大きく大きく両手を広げて  私を通せんぼしているんだよ
  通せんぼしている人は誰かね
  ああ  自分の足でもう一度あるきたいのに…
  悲しいねぇ
  悲しいねぇ
  誰だろうね  通せんぼしている人は
  
  そうそう  昨日ね
  ヘルパーさんが天神様の梅を観に連れて行って下さった
  境内の出店には
  焼きトウモロコシ
  焼きイカ
  あなたは焼きイカが好きだった
  家のそばのお稲荷さんの夏祭りを思い出したよ
  あなたに買ってこようと思ったけど  お金がない
  だから買えなかった
  ごめんなさい
  梅?  梅は咲いていたかって?
  
  最近耳がずいぶん遠くなってしまった
  聞こえないことが多くなった
  でもね
  不自由することだけじゃないんだよ
  うれしいこともあるんだ
  噂話や陰口をこの年になってやっと聞かなくてすむようになった
  大切なことは耳元で話して下さるから困りはしない
  耳元で話して下さる方は  誰だろうね
  ヘルパーさんの姿をした
  ……神さまだろうか
  ……仏さまだろうか
  通せんぼしているものだけじゃない
  ありがたいね
  
  あるきたいね  やっぱり
  まだ人様の役にたちたい
  おまえも  私の年になってごらん  きっとわかるよ
  サトイモの皮だったらむけそうな気がする…のに
  
  もう一度歩いて
  お役にたって
  それから…
  
  ねえ
  もう少し  通せんぼしてもらっていてもいいだろう?

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