審査寸評
- 金賞「夢見る角砂糖」
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タイトルがすばらしい。タイトルが決まったとき、文章は完成している、と断言してもよい。審査員の一人は「高校生とは思えないほどの爽やかで心憎いほどの巧みな文章力を持っている」と絶賛。幼い頃の夢を追い続けることは年齢とともにあきらめざるを得ないのも現実。高校三年生になり、現実の進路選択が迫られる。理想追求か現実との妥協か。悩む筆者に母親は、幼い頃純粋に夢を追いかけていたころの甘いコーヒーを勉強部屋に届ける。母親の登場が効果的。色彩の豊か。構成もよい。幸福感に浸れる作品。
- 銀賞「父の趣味」
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快い文章の条件はただ一つ。コーヒーのある風景を描きながらも「優しさ」が伏流となっていること。優しさとは何か。「自分以外の人の幸福を祈りにも似た気持ちで願うこと」。日本のために、企業のために、家族のためにひたすら海外を飛び回ってきた父が突然車椅子の生活を余儀なくされる。気がついたら父は無趣味。父が趣味をみつけることをひたすら願う娘。いくつもの経験を経てたどりついたのは「利き酒」ならぬ「利き珈琲」。父の幸せを珈琲に託す筆者の優しさが漂う作品。力みがないからよい。
- 銅賞「アーリー・バード」
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審査員の評価は二分した。多くの審査員は数枚の組写真を見るような、絵や写真になる構成。短い段落の一区切りごとが絵になっている。珈琲のある風景のエッセイとしては秀逸と評価。一人の審査員は「外来語に酔ってはいけない。600字程で仕上げた字数不足が気になる」と辛口。ともあれ、情景を浮かび上がらせ、芳ばしい香りを漂わせているのは見事。
- 南日本新聞社賞「最期の夜」
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祖父と作者の心の交流がまるで短編映画のようにあたたかく仕上げられている。祖父と作者の会話の描写が読み手の心を温かくする。
「最期の夜」は「最期」でもよいが、結び近くの「私とおじいちゃんの最期となってしまった」は「最後」と表記すべきでは……。辞書を手元に置き、音読を繰り返すことが推敲の要。
- 船倉賞「ふたつのデミタスカップ」
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三段落に分けるなら、序の部分は、まるで絵になる。次の破の部分は、夫を亡くした老いた女性が、カップ二つを並べ、夫を慕いながらコーヒーを飲む。喫茶店主のさりげない配慮の描写がよい。急の部分は、人を恋しいと思う心の大切さに気づく。
遠い昔の話を現代に蘇らせる工夫がもう少し欲しい。
- 船倉賞「喫茶セーラ」
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亡き夫が残り少ない人生を有意義に過ごせたのはコーヒーを中心とした周りの人のやさしさ。夫が逝った現在、多くの友人に囲まれて何不自由ない生活が過ごせるのもコーヒーのある生活のおかげと綴る。人生は幸福の時ばかりではない。幸せの裏には悲しみの時があり、悲しみの裏には希望がある。悲しみを表面に出さないところに筆者の人柄が偲ばれて、よい。
- 船倉賞「コーヒーを飲みますか」
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気取りがまったくない。実直な作者と誠実・温厚な上司との30年前の交流が今も素直に伝わる。緊張状態を解き、正常な思考ができるようにするには、インスタントコーヒーでもお茶でも不可能。ゆっくりゆっくり淹れるコーヒーに限る。生きる術を教示している。
- 船倉賞「至福の一杯に心を込めて」
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齢、半世紀とみずから記す筆者の突然の秘書室勤務。筆者は秘書の条件を「若さ、聡明さ、美人等々」と挙げ、「すべて自分にないもの」と書く。筆者はまじめな性格。だからこそ、文章はゆとりを生み、精神の健康さが自ずと伝わり、読み手を快い笑いに誘う。上司、筆者、そして周りの方々の健全さが伝わり快い。文章は心で書くもの、と再確認させる作品。
- 船倉賞「忘れられない一杯の珈琲」
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阪神大震災の翌日、被災した作者は途方に暮れ、夫や0歳の息子と共に友人の両親宅を訪ねる。キッチンでゆったりとコーヒーをつくる友人のお父さん。そのとき入れてくれたコーヒーが作者夫婦を力づけ、人にやさしく生きることを学ばせたと記す。非情の体験のなかでこそ学ぶ人間の美しさをさらりと描写した佳作。
- 船倉賞「おんじょんぼ」
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おんじょんぼ、は鹿児島方言で、老夫婦のこと。癌にかかった夫を懸命に看病する作者。病癒えたとき、作者は安堵感のあまりこれまでの鬱屈していたものを夫にぶつける。夫の癌は再発。仕事の合間をみて病院に走る作者に夫はベッドを譲って言う。「夫婦じゃないか、ここに寝れ」。言葉の遣い方には推敲の余地が多く残されている。しかし、どちらが欠けてもいけない夫婦の愛情を素朴な筆致で懸命につづっている態度を高く評価。文章は魂の純粋な叫びである、とも確信させる秀作。
(文責 大重 兼一)
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